ミラ

 ミラがまた一騒動起こしています。と言うのも我がお師匠様が,1596年8月にファブリチウスがミラを発見した時,2等級で極大だったのに,12年半後1609年2月に再発見した時に見えていたってのはおかしいんじゃないのか?と言うご指摘をされたのです。
 ミラの周期は約11ヶ月。一年で一月ずつ極大が早くなって行きます。すると1596年に8月に極大だったと言う事は13年後の1609年には7月頃が極大のはずです。肉眼で見え始めるのは五月頃,精々4月でしょう。その頃ミラは太陽の方向ですから見えません.それなのに2月に見えたってのは明らかにおかしいぞと,言う訳です。
 meinekoさんも同じ問題を追いかけておられます(id:meineko:20110919)が,ご紹介された「Change and Continuity in Early Modern Cosmology」がgoogle booksで読めるのですが,その中に3月12日にファブリチウスがケプラーに宛てた手紙が載っていて,その中で2月5日*1木星と火星の会合を観測中に観測して,直ぐに96年に見た星と気づいたと言っています。The skyを引っ張りだして当時の空を見てみると北ドイツでもやはり夕方の空で,火星はミラの16度北に居ます。薄明終了は19時半で,ミラの高度は25度程ですから,ある程度明るければ十分に見えていたでしょう。ですからまんざら思い違い*2でもなさそうです。
 しかし問題はどの程度の明るさだったのかです。この頃だけ周期が乱れていたんですかね?やはり。
 

*1:ユリウス暦 グレゴリウス暦に直すと2月15日

*2:前年,1608年の夏と間違えてたとか