星取山調査計画

ちょっと見つけてきました。星取山の1874年のアメリカ隊の観測地見取り図(?)です。私の種本原口孝昭先生の「明治7年の金星太陽面経過」に載っていました。観測終了後日本政府と言うか大蔵省が買上げの際の資料からです。

これを見ると2箇所の観測場所とそれを結ぶ道路からなっていることが分かります。おそらく大きな方が水平望遠鏡を設置した場所で、もう一つの小さなほうが屈折赤道儀の写真の方ではないでしょうか?と言うのも望遠鏡の写真は東から北東方向が写っています。この図の小さい方の場所と考えると辻褄が合います。
 観測地の面積ですが、大の方は四間×五間二号五尺及び四間×七間半それに道路三合×四間です。小は四間×七間半。一間は約1.8m。一尺は約3cm。号と合は何でしょう?十分の一間でしょうか?仮にそうすると大が7.2m×23.6mで約170㎡、小が7.2m×12.6mで約91㎡です。図では観測機材を設置したレンガ積みの観測台もありますが、これは流石に残っているべくもないでしょう。
 で、その後調べた所星取山には戦時中陸軍の高射砲陣地が置かれたことが分かりました。金星の観測をするほど空がよく見えるのだから敵機もまた良く見えたのでしょう。陣地が置かれるくらいだから遺構なんか根こそぎ撤去されてしまったんじゃないかと嫌な予感がします。そこで今度は1947年撮影の航空写真です。

戦後ですので高射砲は既に撤去されてしまっていますが、跡地はそのまま残っています。高射砲の掩体が何箇所か見えてますね。丸く印をつけたところが、推定観測地。北側は丘が切り取られて段差がついています。先日現地に行った時も確かにこんな段差が有りました。弾薬庫でも作ったのでしょうか?写真で見るとその付近は見事なまでにまっさらです。陣地を作る際邪魔になる石垣なんかは撤去してしまったでしょうねぇ。
 と言うわけで、遺構が残る可能性がだんだん遠のいていきます。