読了

日中戦争汪兆銘 小林英夫 吉川弘文館

 8月だからという訳でもないのですが、日中戦争について読んでみました。
 汪兆銘と言えば中国国民党のナンバーツーと言うか蒋介石のライバルで、日中戦争では蒋介石と袂を分かち日本軍に協力して蒋介石重慶の国民政府に対抗し、南京に自らを首班とする「国民政府」を樹立したことで知られています。勿論これは完全な日本の傀儡政権で、この為現在の国民党・共産党両政府から偽政権だの漢奸だのと罵られ抹殺されています。最近になってやっと台湾でも大陸でも研究対象にされて来たようです。
 結果として汪兆銘政権は日本の敗北と共に瓦解して*1しまった訳ですが、日本の占領地に於いては一定の役割を果たしていたとの本書の主張です。例えば租界や治外法権の廃止、それに関税自主権の回復等は重慶政府も取り組みましたが、汪兆銘政権でも成果を上げています。また経済面に於いても当初日本軍の軍票を占領地においては通貨として使用していたものが、1943年頃には南京政府中央銀行発行の紙幣に置き換わり、インフレに見舞われながらも流通しています。著者はそもそも汪兆銘重慶を脱出して新政権を樹立したのも蒋介石との密約、少なくとも黙認があったのでは?と推理しています。それが本当なのかどうかは分りませんが、戦争末期日本軍の敗色が濃くなると汪兆銘政権内部では戦後をにらんで重慶政府と水面下で調整が行われていた各種形跡が見られます。戦後「漢奸裁判」が行われ多くの要職者が死刑を含む判決を受けています。しかしその一方重慶政府への協力の為減刑された者もいます。その代表が汪兆銘政権の影のナンバーワンである周仏海です。実質的に政権を取り仕切っていた彼は重慶政権への戦後処理への協力を評価され一旦出された死刑判決を無期懲役減刑*2されています。
 日本の対中戦争については国力を無視した無謀な戦争というのが一般的な認識です。それはまぁそうなのでしょうが、古来中国を占領して王朝を開いた異民族は沢山います。昔から理想の王国と美化されている周からしてそうですし、戦国を統一した秦もそうです。そんなに古くなくても、遼、金、元、清と新しい方は大抵そうです。特に最後の清は上手いことやりました。それなのに何故日本はうまく行かなかったのでしょう?上手く行った異民族は自らが中国に同化することで支配を成功させました。各王朝とも漢人を支配する行政機構、特に末端の行政機構は現地のものを踏襲しています。漢人漢人を支配させるのです。そしてキーポイントが社会の中核を作る知識人(資本家や地主等)を味方につけたことです。その成功が統治の成功につながったのです。軍事力でごり押ししたモンゴルの支配はやはり無理があったのでしょう、長続きしませんでした。
 一方日本は「大東亜共栄圏」だの「五族共和」だのと自らの価値観を押し付けることに異様に執着してしまいます。ドラスティックな中国人がそんな訳の分からないお題目についてくる分けないですよね。日本はそんな中国人を間接支配するべく傀儡政権を作った訳ですが、社会の中核をなすべき知識人層の取り込みに失敗し、彼らは悉く蒋介石と一緒に逃げてしまいます。この為汪兆銘政権の基盤は脆弱なものにならざるを得ませんでした。ここがしっかりしていれば日本の占領政策もあそこまで拙くなることもなかったのでしょう。次にやるときはその辺りを抑えてからやることが大事ですね。(゜▽゜)\(−−;)

日中戦争と汪兆銘 (歴史文化ライブラリー)

日中戦争と汪兆銘 (歴史文化ライブラリー)

*1:汪兆銘自身は終戦名古屋大学病院で病死

*2:でもその後獄死