馭者座ε星

随分以前に天文月報のバックナンバーが公開されたと聞き(id:ugem:20070315:p2),少しずつでも読んでやろうと思っていたのですが,すーっかり忘れていました。(^^;)
ふと思い出して,いくつか開いてみると,日本に於ける変光星観測者の嚆矢である一戸直蔵が書いたε Aurの記事がありました。1908年12月号です。せっかくですので現代語訳してみました。

変光星
理学士 一戸直蔵
第十三ぎょしゃ座ε星。この星は1821年フリッシュ氏によってその変光が観測されたが,1843年シュミット氏は変光を確認できなかったと述べている。しかし確実に変光星であると言うことを確認したのはアルゲランダー氏,ハイス氏等である。これら両氏の観測は明らかに1847年暮れから始まり、翌年11月頃までに亘る減光,極小から増光が存在することを示した。すなわち通常3.3等であるものが極小の時は4.0等となった。それ以降多くの天文学者の観測する所となったが,甚だ少ない変化,又は全く変化を見せず1874年になったのだが、その年の4月頃からシュンフェルド氏が減光を認め,翌年4月9日には3.8等であった。不幸にしてこの日以降1876年12月までは発表された観測が無かった為極小等級や極小日時を決定することが出来なかった。その後1902年までの観測でも目立った変光を示していない。しかるにフランスのルイゼ氏,ドイツのブラスマン氏,シュフブ氏等の観測は何れも1902年9月頃極小だったことを示している。それ以降現在まで大きな変光は認められない。これらの事実を調査したポツダム天文台のルデンドルフ氏はその周期を27.12年とし、その間の25年間は大きな変化を示さず、あたかもアルゴル型ような、ほとんど2年間変光をするものと論じている。更に詳しく言えば減光には207日かかった後4.0等となり,そこから313日間は変光せず,その後再び変化して光度を増し207日経過して3.4等となり,その後2.513年変化しない*1。ルデンドルフ氏は光だけで研究したのではなく,ポツダム天文台にて撮影した分光写真を研究し,27年の2倍を周期とする分光連星の可能性ついて言及しているが,その後同氏は多くの天文台での研究結果を考慮して述べるには,未だ観測不足でε Aurの整形を十分研究できていない。現状では大きな誤り無く言えることは次ぎの事項である。もし視線速度の変化のみで吸収線の移動を説明を試みたなら,二個の星だけでは出来ない。しかし光度の変化と視線速度の変化とが相関関係があることはほとんど疑いの余地はない。
 以上により,今後1928年頃までは変化が無いと予想されるが,注意すべきはその周期を信じ込まないことだ。或は他の現象によってある時予想外の変化をしないとは誰にも言えないので,注意深く観測することを切に望むものである。微小な変光があるようなら尚更である。現状では小変光の理論は知り得ていないが,或は視線運動の小変化との関係もあるやも知れない。ここで怪しむべきはフリッシュ氏が変光を疑った時は,前述のように1821年であり,その後アルデランダー、ハイス両氏が極小を観測する27年ほど前であることからルデンドルフ氏の周期に適合すると考えられるが,シュミッド氏が変光を確認したのは1843年である点である。しかし変光星の観測はよほどの注意を払っても誤差が出ることもあり,また場合によっては変光を観測しても,変光星とは考えられない場合もある。例えば数年前,ある観測者が周期が非常に短く変光範囲も十分の一等半と言う変光星を発見したとの報告が有ったが,全ての人々はこれの正しさに疑問を抱いた。要するにε Aurの変光を観測するにあたり最も注意を要する点は,他の星と同様予断を持たないと言う点にある。

予断を持たないってのは大事ですよね。

*1:このあたりよく分かりません。